ベッドに入ったが眠れない。気を取り直して眠ろうとあせればあせるほど頭が冴えてくる。こんな苦痛を味わったことのない人は少ないだろう。このような不眠が固定化すると、不眠症と呼ばれる状態になる。
コンピューターが管理する情報社会や複雑化する人間関係は、快適さの一方でストレスを高め、人間の自然な眠りのリズムを妨げる。不眠症は極めて文明的な病気でもある。不眠の原因を知り、不眠症に陥らないようにすることは現代人にとってますます必要な知恵になっている。
眠りの上手、下手
睡眠には謎が多い。多くの人たちは8時間は眠らなければならないと信じているが、歴史上には何10年も一睡もしなかった人物の伝説もある。そこまで極端でなくても、1960年代には、オーストラリアの研究者が3時間眠るだけで元気に活動する超短時間睡眠者の男性2例を調査した。その後もイギリスで、子供の時から毎日1、2時間しか眠っていない元看護婦の女性についての報告がある。真偽は定かでないがナポレオンが3時間しか眠らなかったという話も有名だ。
どうやら睡眠時間には長い人、短い人の個性があるようだ。統計を見ても日本人の大部分の睡眠時間は6〜9時間の間にあるが、6時間以下の人も5%はいる。ということは、眠るのがうまい人、普通の人、あまり得意でない人がいるらしい。
え、どうして?と疑問を狭みたいところだ。だれでも普通、特別の障害さえなければ、夜になると自然に眠れるものと思っている。いったい眠る能力というのがあるのだろうか。
日本睡眠学会代表幹事で東京・大久保で大熊クリニックを開設する大熊輝雄さんは、こう言う。「眠りと脳の機能とは密接な関係があるんです。それは、起きているときの脳波と眠っているときの脳波が違うことからも分かります。一般に眠るのはからだの疲労を回復させるためと考えられているが、実はそうではない。1日、部屋にいてからだは疲れていなくても夜になると眠りたくなる。なぜかというと、脳が疲労を取るために自分自身を休息させようとするからです。それが睡眠です。ですから、脳が健康かどうか、脳が眠るのがうまいかどうか、その人の眠りの質を決めるわけです」
こう聞くと、私たちがなぜ不眠の状態に陥るのかも理解しやすい。不眠とは、何らかの原因で、脳に備わった眠りのメカニズムがうまく働かなくなったときに現れる現象なのだ。
ところで、不眠には3つのパターンがある。寝付きにくい入眠障害タイプ。夜中に何度も目覚める中途覚醒タイプ。明け方に目覚め、その後眠れない早朝覚醒タイプ。大熊さんは、こんな訴えを持つ患者さんがやって来ると、原因を幾つかの側面から診断する。「まず、からだが健康で脳に精神病などの病気がないか。そして、会社の仕事、家庭の人間関係などでストレスがないか。さらに、規則正しいリズムに従った生活をしているかどうかです」
胃腸障害や肝臓病など内臓に慢性的な病気があれば、その異常は信号となって絶えず脳へ送られる。脳は緊張を持続して夜も眠りにくくなる。睡眠時無呼吸症候群といって眠ると呼吸が抑制され眠りが浅くなる病気もある。精神病や神経症になっても脳の機能はバランスを失い、正常な眠りが困難になる。特にうつ病の場合は、不眠を伴うのが普通だ。食物アレルギーでも不眠症状が出ることがある。このようにほかの病気が原因なら、その病気が治れば不眠も改善する。不眠の裏に隠れた疾患がないかどうかには十分な注意が必要だ。
病気ではないが、老化が不眠をもたらすケースもある。老人になると老人性痴呆症の例からも分かるように脳の機能も低下し、眠りの質が影響を受けるのは避けられない。寝付きは悪くなくても、途中で目覚めるタイプが多くなる。大熊さんは「老化だからある程度は仕方がない。気楽に構えながらも、早く就寝するとか、長く寝床にいるとかの工夫をしたほうがいいですね。質が低下する分、量で補わなければ」という。
睡眠のリズム
規則正しい生活は、別に道徳的な観点から大切なわけではない。これにも、脳の機能がかかわっている。というのは、間脳の視床下部という部位には“生物時計”が仕組まれていて、朝型、夜型の多少のずれはあるものの、ほぼ1日の周期で外界の昼夜リズムと同調した生体リズムを作り出している。私たちのからだが昼間は交感神経が優位で体温が高めなのに対して、夜は副交感神経が優位で体温が低めにセットされ、眠りやすくなっているのは、生物時計のなせるワザなのだ。
ところが、現代社会は、この生体リズムを脅かしている。24時間3交替制の工場勤務やサービス業、夜中に行われる海外との通信連絡や情報収集活動、そして夜更かしの遊興。これら、自然の拘束から自由になった夜と昼との境のない生活によって、睡眠のリズムが狂い、夜になったら眠るという通常の社会生活ができなくなった人々が増えている。海外旅行の際の時差ボケに典型的なこのような症例も疾患別に区分され、研究と治療が行われている。
では、からだにも心にも大きな問題はないし、生活も規則正しい、そんな人が不眠に悩まされるのはどんなときだろう。多くは仕事や人間関係上のストレスが安眠を妨害している。日本人の5人に1人は眠りに不満を抱いているといわれるが、その人々の中で一番目立つのがやはりこのケースだ。「もともときちょうめんで緊張型、寝付きが多少悪いというような人が仕事で失敗したり、家族とうまくいかなくて心理的なストレスにさらされると、眠れない日が続く。不眠症じゃないかなんて心配するとますます緊張して眠れなくなる。悪循環に陥って不眠が固定化してしまう。患者さんの半分ぐらいはこういう人ですね」と大熊さん。
不眠からの脱出作戦
不眠に隠れた内臓や心の病気、そして深刻にこじれた不眠症などの治療は専門医の指導に頼ることが必要だ。けれど、ストレス性の軽い不眠だと分かっていれば、その状態が固定化する前に、「眠れない夜」の脱出作戦を試みてみよう。とはいえ、古来無数の人々が挑戦してきたこの作戦、誤った常識や思い込みがたくさんまかり通ってもいる。
例えば、西洋渡来の、羊の数を「1匹、2匹、3匹・・・」と数える睡眠法はどうだろう。
東京医科歯科大教授で、近著『ヒトはなぜ眠るのか』(筑摩書房)の著者の井上昌次郎さんは、「あまり効果がない場合もあるでしょうね」という。「眠ろう、眠ろうと努力することは大脳皮質を刺激し、活性化して、実は眠りにくくさせているわけです。眠るためには眠ろうとしては駄目なんです」
酒は眠り薬だという通説も横行している。眠れない夜に、グラス1杯のワインが助けてくれた経験はだれにもありそうだ。けれど、先の大熊さんによれば、「お酒を飲むと寝付きは良くても早く目が覚めてしまうという研究もある」という。北里大医学部精神科教授の村崎光邦さんは「酒は夜眠るための“薬”ではないんです」と厳しい。「それをその目的だけに使えば必ず害が出ます。ナイトキャップとしてうまく使えているうちはいいが、次第に量が増え、肝臓障害を起こしたり依存症になって人格が破綻したり、精神的な問題を引き起こしたりしかねない。事実、アルコール依存症の専門医によれば、眠れないために酒を飲むようになり、抜けられなくなった患者さんが少なくない。眠れないから酒を飲むというのは本当に要注意です」
酒に比べれば現在の睡眠薬は使用法さえ適切であれば、ぐっと安全だと村崎さんはいう。一http://www.net-dream.jp般の医師さえ抱いている「睡眠薬は危険」という思い込みも、村崎さんにいわせれば誤った観念で、まさに、“非常識”なのだそうだ。「最近の睡眠薬は随分改良されました。昔のように飲み過ぎると死ぬということはなくなったし、服用量を段々増やさないと効かなくなるということもさほどない。前の晩に眠れなかったということが翌日の仕事に差し支えるだけではなく、とんでもない交通事故や惨事に繋がる社会ですから。時にはきちんと睡眠薬を使って不眠を解消してほしいですね」
もちろん、使用に当たっては慎重にと村崎さん。専門医とよく相談しその指導のもとに使用することが大切だ。しかし何といっても、人工の薬による眠りは自然の眠りではない。改良されても問題は残るからだ。大熊さんはいう。「精神科医のなだいなださんも『睡眠薬による睡眠はごちそうだ』と言っていますが、睡眠薬による眠りは自然の眠りよりある意味では深いわけです。だから、調子が良くなって元の睡眠に戻った患者さんが、ちゃんと眠っているはずなのに、眠れない、眠れないと不満を漏らす場合があるんです。ごちそうの味を忘れられなくて」
なんと、睡眠の世界にもグルメ志向が生み出されているらしい。ともあれ、こうした誤解や“非常識”を乗り越えて健康な眠りの国に入るためには、ごく当たり前の生活スタイルを取り戻すことがまず大切なのだ。
規則正しい生活が基本
「脳の中にセットされている睡眠調節のメカニズムには2つの基本法則があります。1つは昼は活動し、夜は眠るという1日のリズム現象で、生物時計が管理している。もう1つは、寝る直前までにどれだけ睡眠が不足しているかによって眠りの質と量が決められるというものです。これら生き物としての基本的な特性に何はともあれ、素直に従うことが不眠克服の第1歩です」と井上さんはいう。
第1の法則の活用とは、メリハリの利いた規則正しい生活をすること。第2の法則の活用とは、昼間は眠くても寝るのはできるだけ我慢して、その分、夜に良質の眠りが得られるよう努力することだ。このようにして眠らない時間と眠る時間のけじめをつけ、不眠とそれに付随する昼間のうたた寝の悪循環を、ぜひとも断ち切りたいものだ。
自分でできる不眠症対策の心得を、大熊さんは、『現代人の不眠症読本』(講談社)で書いている。寝床の中まで脳を興奮させる材料を持ち込まないための気分転換の方法も述べられているが、夜遅くまで仕事に追われがちなサラリーマンなら工夫してみたいところだ。就寝前の時間に家族との歓談、音楽、読書、ゲーム、軽い運動など何でもいいから、仕事を忘れて脳を休息させる楽しみが見つかれば、豊かな快眠へのステップになってくれるだろう。
寝る前に少しぬるめの湯に入浴することも大熊さんは勧める。入浴は血液の循環を良くし、筋肉の緊張をゆるめ、血圧を下げて、昼間の交感神経優位のからだから眠るのに適した副交感神経優位のからだに切り替えてくれる。
この本にも紹介されているが、自律訓練法を利用するのもよいだろう。これは心身が張りつめている交感神経過緊張型の人がなりやすい神経症や心身症の治療に用いられている一種の自己暗示法だ。ベッドに横たわり手足の重い感じ、温かい感じをじっくりと味わう。習得すれば意識によって全身を弛緩させ緊張を解くことができる。だから入眠法としても有効というわけだ。同様のリラックス術は、流行の気功法やヨガの中にもあるから、それを試みるのもいいだろう。
筑波技術短大の西条一止教授グループの研究によれば、ハリや灸(きゅう)にも、交感神経の過緊張を解消する作用があるという。東洋医学に関心があれば、試してみても良いかもしれない。
睡眠時に脳から出て人を眠りに導く睡眠物質を研究している井上さんのところには、最近、眠りにかかわる商品開発の相談に来る企業家が増えた。赤ちゃんをうまく眠らせるおもちゃのアイディアはないか、人間の睡眠の仕組みを取り入れた新しい目覚まし時計は作れないか、安眠枕や心地よいベッドのための新知識がほしい。こんな問い合わせが殺到する裏に、自然の眠りを得にくくなった現代人の素顔が見えている。
企業家の応対の合間に井上さんはこう考える。「これが文明的な生活だと思って、寸暇を惜しんで働き、眠りを抑え込んでいることが私たちの体内の自然を破壊しているんですね。機械や薬に頼って眠ろうとする以前に、食べて、活動して、寝るという原始以来の生き物の単純で当たり前の設計図に立ち戻れば、心配しなくても眠りはきちんと訪れるものです」
眠れない夜に、井上さんの言葉をはんすうし、文明の過去・現在に思いを巡らせてみるのも、最高の安眠法かもしれない。
コンピューターが管理する情報社会や複雑化する人間関係は、快適さの一方でストレスを高め、人間の自然な眠りのリズムを妨げる。不眠症は極めて文明的な病気でもある。不眠の原因を知り、不眠症に陥らないようにすることは現代人にとってますます必要な知恵になっている。
眠りの上手、下手
睡眠には謎が多い。多くの人たちは8時間は眠らなければならないと信じているが、歴史上には何10年も一睡もしなかった人物の伝説もある。そこまで極端でなくても、1960年代には、オーストラリアの研究者が3時間眠るだけで元気に活動する超短時間睡眠者の男性2例を調査した。その後もイギリスで、子供の時から毎日1、2時間しか眠っていない元看護婦の女性についての報告がある。真偽は定かでないがナポレオンが3時間しか眠らなかったという話も有名だ。
どうやら睡眠時間には長い人、短い人の個性があるようだ。統計を見ても日本人の大部分の睡眠時間は6〜9時間の間にあるが、6時間以下の人も5%はいる。ということは、眠るのがうまい人、普通の人、あまり得意でない人がいるらしい。
え、どうして?と疑問を狭みたいところだ。だれでも普通、特別の障害さえなければ、夜になると自然に眠れるものと思っている。いったい眠る能力というのがあるのだろうか。
日本睡眠学会代表幹事で東京・大久保で大熊クリニックを開設する大熊輝雄さんは、こう言う。「眠りと脳の機能とは密接な関係があるんです。それは、起きているときの脳波と眠っているときの脳波が違うことからも分かります。一般に眠るのはからだの疲労を回復させるためと考えられているが、実はそうではない。1日、部屋にいてからだは疲れていなくても夜になると眠りたくなる。なぜかというと、脳が疲労を取るために自分自身を休息させようとするからです。それが睡眠です。ですから、脳が健康かどうか、脳が眠るのがうまいかどうか、その人の眠りの質を決めるわけです」
こう聞くと、私たちがなぜ不眠の状態に陥るのかも理解しやすい。不眠とは、何らかの原因で、脳に備わった眠りのメカニズムがうまく働かなくなったときに現れる現象なのだ。
ところで、不眠には3つのパターンがある。寝付きにくい入眠障害タイプ。夜中に何度も目覚める中途覚醒タイプ。明け方に目覚め、その後眠れない早朝覚醒タイプ。大熊さんは、こんな訴えを持つ患者さんがやって来ると、原因を幾つかの側面から診断する。「まず、からだが健康で脳に精神病などの病気がないか。そして、会社の仕事、家庭の人間関係などでストレスがないか。さらに、規則正しいリズムに従った生活をしているかどうかです」
胃腸障害や肝臓病など内臓に慢性的な病気があれば、その異常は信号となって絶えず脳へ送られる。脳は緊張を持続して夜も眠りにくくなる。睡眠時無呼吸症候群といって眠ると呼吸が抑制され眠りが浅くなる病気もある。精神病や神経症になっても脳の機能はバランスを失い、正常な眠りが困難になる。特にうつ病の場合は、不眠を伴うのが普通だ。食物アレルギーでも不眠症状が出ることがある。このようにほかの病気が原因なら、その病気が治れば不眠も改善する。不眠の裏に隠れた疾患がないかどうかには十分な注意が必要だ。
病気ではないが、老化が不眠をもたらすケースもある。老人になると老人性痴呆症の例からも分かるように脳の機能も低下し、眠りの質が影響を受けるのは避けられない。寝付きは悪くなくても、途中で目覚めるタイプが多くなる。大熊さんは「老化だからある程度は仕方がない。気楽に構えながらも、早く就寝するとか、長く寝床にいるとかの工夫をしたほうがいいですね。質が低下する分、量で補わなければ」という。
睡眠のリズム
規則正しい生活は、別に道徳的な観点から大切なわけではない。これにも、脳の機能がかかわっている。というのは、間脳の視床下部という部位には“生物時計”が仕組まれていて、朝型、夜型の多少のずれはあるものの、ほぼ1日の周期で外界の昼夜リズムと同調した生体リズムを作り出している。私たちのからだが昼間は交感神経が優位で体温が高めなのに対して、夜は副交感神経が優位で体温が低めにセットされ、眠りやすくなっているのは、生物時計のなせるワザなのだ。
ところが、現代社会は、この生体リズムを脅かしている。24時間3交替制の工場勤務やサービス業、夜中に行われる海外との通信連絡や情報収集活動、そして夜更かしの遊興。これら、自然の拘束から自由になった夜と昼との境のない生活によって、睡眠のリズムが狂い、夜になったら眠るという通常の社会生活ができなくなった人々が増えている。海外旅行の際の時差ボケに典型的なこのような症例も疾患別に区分され、研究と治療が行われている。
では、からだにも心にも大きな問題はないし、生活も規則正しい、そんな人が不眠に悩まされるのはどんなときだろう。多くは仕事や人間関係上のストレスが安眠を妨害している。日本人の5人に1人は眠りに不満を抱いているといわれるが、その人々の中で一番目立つのがやはりこのケースだ。「もともときちょうめんで緊張型、寝付きが多少悪いというような人が仕事で失敗したり、家族とうまくいかなくて心理的なストレスにさらされると、眠れない日が続く。不眠症じゃないかなんて心配するとますます緊張して眠れなくなる。悪循環に陥って不眠が固定化してしまう。患者さんの半分ぐらいはこういう人ですね」と大熊さん。
不眠からの脱出作戦
不眠に隠れた内臓や心の病気、そして深刻にこじれた不眠症などの治療は専門医の指導に頼ることが必要だ。けれど、ストレス性の軽い不眠だと分かっていれば、その状態が固定化する前に、「眠れない夜」の脱出作戦を試みてみよう。とはいえ、古来無数の人々が挑戦してきたこの作戦、誤った常識や思い込みがたくさんまかり通ってもいる。
例えば、西洋渡来の、羊の数を「1匹、2匹、3匹・・・」と数える睡眠法はどうだろう。
東京医科歯科大教授で、近著『ヒトはなぜ眠るのか』(筑摩書房)の著者の井上昌次郎さんは、「あまり効果がない場合もあるでしょうね」という。「眠ろう、眠ろうと努力することは大脳皮質を刺激し、活性化して、実は眠りにくくさせているわけです。眠るためには眠ろうとしては駄目なんです」
酒は眠り薬だという通説も横行している。眠れない夜に、グラス1杯のワインが助けてくれた経験はだれにもありそうだ。けれど、先の大熊さんによれば、「お酒を飲むと寝付きは良くても早く目が覚めてしまうという研究もある」という。北里大医学部精神科教授の村崎光邦さんは「酒は夜眠るための“薬”ではないんです」と厳しい。「それをその目的だけに使えば必ず害が出ます。ナイトキャップとしてうまく使えているうちはいいが、次第に量が増え、肝臓障害を起こしたり依存症になって人格が破綻したり、精神的な問題を引き起こしたりしかねない。事実、アルコール依存症の専門医によれば、眠れないために酒を飲むようになり、抜けられなくなった患者さんが少なくない。眠れないから酒を飲むというのは本当に要注意です」
酒に比べれば現在の睡眠薬は使用法さえ適切であれば、ぐっと安全だと村崎さんはいう。一http://www.net-dream.jp般の医師さえ抱いている「睡眠薬は危険」という思い込みも、村崎さんにいわせれば誤った観念で、まさに、“非常識”なのだそうだ。「最近の睡眠薬は随分改良されました。昔のように飲み過ぎると死ぬということはなくなったし、服用量を段々増やさないと効かなくなるということもさほどない。前の晩に眠れなかったということが翌日の仕事に差し支えるだけではなく、とんでもない交通事故や惨事に繋がる社会ですから。時にはきちんと睡眠薬を使って不眠を解消してほしいですね」
もちろん、使用に当たっては慎重にと村崎さん。専門医とよく相談しその指導のもとに使用することが大切だ。しかし何といっても、人工の薬による眠りは自然の眠りではない。改良されても問題は残るからだ。大熊さんはいう。「精神科医のなだいなださんも『睡眠薬による睡眠はごちそうだ』と言っていますが、睡眠薬による眠りは自然の眠りよりある意味では深いわけです。だから、調子が良くなって元の睡眠に戻った患者さんが、ちゃんと眠っているはずなのに、眠れない、眠れないと不満を漏らす場合があるんです。ごちそうの味を忘れられなくて」
なんと、睡眠の世界にもグルメ志向が生み出されているらしい。ともあれ、こうした誤解や“非常識”を乗り越えて健康な眠りの国に入るためには、ごく当たり前の生活スタイルを取り戻すことがまず大切なのだ。
規則正しい生活が基本
「脳の中にセットされている睡眠調節のメカニズムには2つの基本法則があります。1つは昼は活動し、夜は眠るという1日のリズム現象で、生物時計が管理している。もう1つは、寝る直前までにどれだけ睡眠が不足しているかによって眠りの質と量が決められるというものです。これら生き物としての基本的な特性に何はともあれ、素直に従うことが不眠克服の第1歩です」と井上さんはいう。
第1の法則の活用とは、メリハリの利いた規則正しい生活をすること。第2の法則の活用とは、昼間は眠くても寝るのはできるだけ我慢して、その分、夜に良質の眠りが得られるよう努力することだ。このようにして眠らない時間と眠る時間のけじめをつけ、不眠とそれに付随する昼間のうたた寝の悪循環を、ぜひとも断ち切りたいものだ。
自分でできる不眠症対策の心得を、大熊さんは、『現代人の不眠症読本』(講談社)で書いている。寝床の中まで脳を興奮させる材料を持ち込まないための気分転換の方法も述べられているが、夜遅くまで仕事に追われがちなサラリーマンなら工夫してみたいところだ。就寝前の時間に家族との歓談、音楽、読書、ゲーム、軽い運動など何でもいいから、仕事を忘れて脳を休息させる楽しみが見つかれば、豊かな快眠へのステップになってくれるだろう。
寝る前に少しぬるめの湯に入浴することも大熊さんは勧める。入浴は血液の循環を良くし、筋肉の緊張をゆるめ、血圧を下げて、昼間の交感神経優位のからだから眠るのに適した副交感神経優位のからだに切り替えてくれる。
この本にも紹介されているが、自律訓練法を利用するのもよいだろう。これは心身が張りつめている交感神経過緊張型の人がなりやすい神経症や心身症の治療に用いられている一種の自己暗示法だ。ベッドに横たわり手足の重い感じ、温かい感じをじっくりと味わう。習得すれば意識によって全身を弛緩させ緊張を解くことができる。だから入眠法としても有効というわけだ。同様のリラックス術は、流行の気功法やヨガの中にもあるから、それを試みるのもいいだろう。
筑波技術短大の西条一止教授グループの研究によれば、ハリや灸(きゅう)にも、交感神経の過緊張を解消する作用があるという。東洋医学に関心があれば、試してみても良いかもしれない。
睡眠時に脳から出て人を眠りに導く睡眠物質を研究している井上さんのところには、最近、眠りにかかわる商品開発の相談に来る企業家が増えた。赤ちゃんをうまく眠らせるおもちゃのアイディアはないか、人間の睡眠の仕組みを取り入れた新しい目覚まし時計は作れないか、安眠枕や心地よいベッドのための新知識がほしい。こんな問い合わせが殺到する裏に、自然の眠りを得にくくなった現代人の素顔が見えている。
企業家の応対の合間に井上さんはこう考える。「これが文明的な生活だと思って、寸暇を惜しんで働き、眠りを抑え込んでいることが私たちの体内の自然を破壊しているんですね。機械や薬に頼って眠ろうとする以前に、食べて、活動して、寝るという原始以来の生き物の単純で当たり前の設計図に立ち戻れば、心配しなくても眠りはきちんと訪れるものです」
眠れない夜に、井上さんの言葉をはんすうし、文明の過去・現在に思いを巡らせてみるのも、最高の安眠法かもしれない。
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