体の知識

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輸血の歴史で記録に残るものでは、1667年にフランスの医師が羊の血液を人間に注射したのが最も古い。いまから考えるとなんとも乱暴なことをしたものである
 臓器移植などが話題になる昨今、血液型をめぐる最新知識を知ることは無駄ではないだろう。そこで今回は血液型について改めて取り上げてみた。

▼血液型の発見

 初めて血液型(ABO)が発見されたのは1901年のことだった。血液は赤い色の赤血球と黄色で透明な血清(血漿)とがおよそ半分ずつと、わずかな白血球と血小板とからなっている。ABO式血液型はこのなかの赤血球がもっている型で、発見したのは当時オーストリア・ウィーン大学の病理解剖学教室で助手をしていたランドスタイナーである。
 彼は血液を血球と血清とに分け、これに別の人の血液を混ぜ合わせてみたところ、血球が凝集するものと、凝集しないものがあることに着目。それがABO式の発見につながった。つまり、同じ型ならば血球は凝集せず、逆に型が違うと固まってしまうというわけだ。
 当初、ランドスタイナーが発見した血液型は3種類だったといわれ、彼はそれに「ABO」と付けている。ちなみに「AB」型が発見されたのはその翌年のことで、こちらはランドスタイナーの弟子のデカステロらによって見出された。
 今日よく知られているRh式血液型もランドスタイナーによって1940年に発見された。これはアカゲザルから採った血球をウサギに注入し、そこにできた抗体から、人間の血球に対する反応を調べているときに分かったもので、人の血球が凝集するものをRhプラス、凝集しないものをRhマイナスとした。明らかにABO式の血液型などとは違った反応を示しており、こうして名づけられたのが、アカゲザル(Rhesusmonkey)の頭文字からとった「Rh」だったという。どうやら、当時はまだ人間の血液も動物の血液もまったく違いがないと考えていたきらいがある。

▼血液型不一致の恐怖

 今日までに発見されている血液型は実に30種類以上もある。そのうち輸血のときに重視しているのは、やはりABO式とRh式で、献血手帳などにこの2種類の血液型が記録されるのはそのためだ。
 血液型が合わなかったときの副作用について、東京医科歯科大学法医学教室の中嶋八良助教授に尋ねてみた。
 「なんといっても怖いのは、輸血後しばらくして溶血という現象を起こしてしまうことなんです。これは輸血を受けた側の赤血球の膜が破れてヘモグロビンが血球外へと出てしまう現象で、その結果、腎不全を起こしたり、溶血性貧血という難病を招く危険性もあります」
 こういった副作用が最も早く現れるのがABO式血液型の不適合で、一般的には輸血後2分以内に輸血した赤血球の90%は破壊されてしまうとさえいわれる。
 「主な副作用は輸血直後の発熱ですが、まれに呼吸困難を起こすこともあります。しかし、発見さえ早ければ打つ手はあるし、仮にほかの血液型が合わなかったとしても、反応が遅く出るものについてはそれほど心配することはありません」(中嶋助教授)。
 ABOとRh式血液型の検査は、慣れれば5分ほどでできる。輸血が必要なときにはどこの病院でも必ずこの2つの型の検査をしている。だが、ときに事故が起こることも皆無ではない。ことに夜間は検査部門が閉められてしまっていることが多く、緊急を要する場合、つい身内の人から聞いた血液型を信じて輸血してしまうことがあるからだ。あらかじめ正確な血液型を調べておく必要がそこにある。
 輸血ばかりではない。中嶋助教授によると、Rh式の不適合ではこんな事故もある。
 例えば、Rhマイナスの妻が、Rhプラスの夫の子供を身ごもったとする。この場合、胎児の多くはRhプラスで、第一子はなんの支障もなく生まれるが、出産時になんらかの原因で胎児の血液が母親の血液に混ざったりすると、母親の体内にRhプラスに対する抗体が作られてしまい、影響は第2子以降に出る。
 同じRhプラスの子供を身ごもったとき、母親のRhプラスに対する抗体が胎盤を通じで胎児の体内へと侵入し、そこで赤血球は抗原抗体反応を起こしてしまうからである。程度にもよるが、最悪の場合、胎児は黄だんのために脳の1部に障害を起こしたり、脳性小児まひとか、より重いときには死産することもあり得る。
 「無事に生まれさえすれば方法がないではありません。生まれてすぐの赤ちゃんの血液を入れ替え、抗体を完全に取り除いてしまう交換輸血という方法もあります。また、最近は第1子分娩後の母親に抗血清を筋肉注射することで、母体に抗体のできるのを防ぐ方法もあります。」
 結婚に際して、Rhマイナスの人を極端に敬遠する傾向もあるが、こういった処置もできると中嶋助教授は強調する。

▼臓器移植で変わる血液型

 大阪医科大学の松本秀雄学長(法医学)の試算によれば、30種類近くの血液型をすべて調べた場合、同じ血液型の見つかる確率は、実に943億分の1にもなるという。つまり、地球上の総人口を仮に60億人としても、一卵性双生児でもない限りまったく同じ血液型の人はいないといっても過言ではない。
 そんななかでもう1つ白血球型(HLA)の存在も見逃せない。これは1954年に発見されたものだが、臓器移植が一般的になり、特に注目されるようになってきた。他人からの臓器を移植した場合、人間のからだはその臓器を異物とみなし、さまざまな拒否反応を起こしかねない。その主役を演ずるのが白血球だからである。
 ところで、血液型は臓器移植などによってまったく変わってしまうことがあり得るといったら、にわかには信じられない人も多いのではなかろうか。だが、それは紛れもない事実であり、ことに骨髄移植をしたときにそんな現象が起こっている。昭和60年に実際にその事実を確認した自治医科大学の池本卯典教授はこう証言する。
 「免疫抑制剤が開発されたことで、骨髄移植は白血球型が一致していさえすれば、他の血液型が合わなくても移植が可能になったからなんです。ABO式など赤血球型の血液型は骨髄でつくられているわけで、このため、移植後2ヵ月もすると、完全に提供者の血液型に変わってしまいます。」
 病気が再発したりすると移植した骨髄が機能しなくなるため、もとの血液型に戻ってしまうこともあるが、移植が成功していれば永遠に変わったままとなる。つまりABO式の血液型がまったくの他人になってしまうということで、今後、こういった例が増えてくると、親子鑑定などもかなり難しいものとなってくるかもしれない。
 もっとも、その親子鑑定ということでは、今日、脚光をあびているのにDNA(遺伝子)鑑定がある。これはバイオテクノロジーの進歩のなかから生まれてきたものだが、まだDNA鑑定のできる施設は多くない。鑑定には1カ月ぐらいは要するが、鑑定結果は99.9%の信頼性が持てるといわれる。


▼血液型が示す日本人のルーツ

 日本にABO式血液型が伝えられたのは発見後15年もたった大正5年(1916)のことである。このABO式の分類法によると、日本人はA型が40%、O型が30%、B型が20%、AB型が10%。Rh式のマイナスは0.5%。ただし、これだけに頼って親子関係を調べた場合、先の松本学長の試算では、いわゆる身に覚えのない男性の「ぬれぎぬ」を晴らすチャンスは、ABO式ではわずか19.2%に過ぎず、Rh式で5つの抗血清を細かく分析しても23.7%程度というから念のため。
 いま1部の人たちに人気の高い「血液型による性格判断」は根拠に乏しいものであることもつけ加えておきたい。ABO式は赤血球の細胞膜の表面につくわずかな糖構造の違いによって区別されているもので、前出の大阪医科大学の松本秀雄学長も、著書『血液型は語る』(裳華房刊)のなかで次のように記している。
 「このようなわずかな構造の違いを、人類のように高度な生物の複雑多岐な構造と生理的な働きをもつものの性格や能力を判断するよりどころにしようとすることは、まったくのナンセンスである」
 ABO式血液型のあるのは赤色の血液を有する脊椎動物に共通したところである。Rh式や白血球型にしても同じであり、まずはそんなことに惑わされないようにしてもらいたい。
 血液型は地域によってもその分布は違っている。血液型で知る日本人のルーツが、近年なにかと話題になってきた。
 「日本人はいわゆる南方型と、北方型にはっきり分かれているんですね。O型やA型は南に多く、逆にB型は北の方の人に多い」(池本教授)。
 大陸から流れてきたことは容易に想像されるが、その大陸でも朝鮮半島では38度線を境に北と南の人の血液型がはっきりと分かれているというからおもしろい。
 池本教授が推理している。「おそらく南日本の場合、朝鮮半島の南からきたものと思われますが、北日本とか能登半島あたりにB型が多いのは、北朝鮮あたりから船で入ってきたことが考えられます。」
 ちなみに、Rh式でみると北日本の人にマイナス型が多く、なかでもアイヌ人になると5%もおり、この割合は白人系と同じとか。最初、アイヌ系の先住民族がいたところに、大陸から渡ってきた民族が割り込んできたことは間違いなく、さらにそのルーツを探ると、バイカル湖周辺にあるというのが血液型からみた今日の一般的な見方である。
 こうして見てくると、血液型があったればこそ外科医学もここまで進歩してきたことが分かる。おそらく今後も手術や臓器移植などで輸血の必要性が高くなることは予測される。献血への協力や、骨髄移植も適合する率が低いだけに多くの人が骨髄バンクに登録しておきたいものだ。

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